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前回の投稿では、以下の点について述べました。

 夫婦別姓は夫婦同姓を全面的に解除する
 制度を全面的に変えるのならば、慎重にかからねばならない
 制度を変える前段階として制度の正しい評価がなされねばならない
 制度は一般的に「合目的論的制度」と“seinの制度”に大別することができる
 夫婦同姓制度は後者の制度である
?Δ箸海蹐?“seinの制度”の中に暮らす者は“seinの制度”を正しく評価できない


【“seinの制度”を評価できる者とは】
“seinの制度”は空気の如きに感じられる存在であるとは申せ、制度である以上はいつかは現実との乖離を生じます。その時にどのように評価−修正すべきかについて予め考えておく必要があります。

まず、“seinの制度”を評価できる者を探しましょう。

結論として、“seinの制度”を評価できる者は、“seinの制度”に異議を唱える者です。

ここに何らかの“seinの制度”があるとしましょう(夫婦同姓でも夫婦同居でも一夫一婦制でも何でも構いません)。この制度を巡っては二通りの集団しか存在しません。制度に納得している集団と納得できない集団です。
納得している集団は、「正しいから」納得しているのではなく、当たり前だから納得しているのです。そして、その制度の中で暮らす者、その制度を当たり前だとして疑いもしない者にとっては、評価をすること自体が想像だにしないことなのです。
ならば、“seinの制度”に対する評価が出てくるとするならば、それはその制度の反対に立つ者からでしょう。

前回の金魚鉢の例を再び持ち出せば、黄色の水で満たされた水槽の中で生まれ育った金魚は水の色に対して疑問を持ちません。水の色に違和感を持ち、「この水槽の水はちょっと変じゃないか?」と評価するのは、別の水槽から移された金魚なのです。

《結論1》
“seinの制度”を評価するのは、その制度に反対する者である。

【制度を変えるための議論のあり方】
夫婦別姓賛成論者と議論をしていると、必ずと言ってよいくらい次のような論法にた どり着きます。

別姓論者:「あなたが夫婦同姓が良いと思うのならば、夫婦同姓のメリットを挙げてください」
同姓論者:「う〜ん・・・メリットっていきなり言われてもなあ」
別姓論者:「メリットがないのであれば、夫婦同姓を維持する必要性は認められません」

この論法は《結論1》から考えて明らかに正しくありません。夫婦同姓という“seinの制度”に暮らす者は、評価できないがゆえにメリットもデメリットも彼の概念の中には存在しないのですから。

ゆえに、夫婦別姓論者は次のような論法を延々と繰り返さねばならないのです。

別姓論者:「夫婦同姓は○○という点で正しくない」
同姓論者:「その○○という点が正しくないことは納得できる」
別姓論者:「さらに夫婦同姓は▲▲という点でも正しくない」
同姓論者:「その▲▲という点は納得がいかない。詳しく説明してくれ」
別姓論者:「その理由は△△や??ということからも明らかだ」
同姓論者:「なるほど、▲▲という点で正しくないことも納得できた」
別姓論者:「さらに夫婦同姓は@@という点でも正しくない・・・・・・」

これは刑事裁判と同様のモデルです。検察側は夫婦別姓賛成論者です。彼らは被告である夫婦同姓制度が正しくないことを証拠を突きつけながら証明していくわけです。
「夫婦同姓のメリットを示してください」等との論法は、いわば検察側が被告に向かって「あなたが『悪いことをしていない!』と仰るのであれば、あなた自身が『悪いことをしていない』という証拠を出しなさい」と言い張るようなもの。明らかに議論の手続を無視しています。

したがって、夫婦同姓論者は、自らの正しさを何ら考慮することはありません。ただ単に、夫婦別姓賛成論者からの批判をひとつひとつ潰していけば良いだけのことなのです。

なお、誤解のないように付言しますが、これは夫婦同姓論者が楽をしたいが故に持ち出した論理ではなく、制度を変える際には等しく踏まねばならぬものとして提示したのです。
私は個人的に「生前相続制度の復活&長男に絶大なる権限を持たせる」ために民法の大幅変更を願う者ですが、その際には「制度に異議を唱える者」として、延々と批判を突きつける側に回るでしょう。

《結論2》
“seinの制度”に異議を唱える者は、その証拠を提示し続けなければならない。

ちなみに、この刑事裁判モデルにおいて被告弁護人は夫婦同姓論者、すなわち“seinの制度”に暮らす者です。ならば・・・裁判官は誰でしょう。それは追々明らかになることと思います。

そして・・・《結論2》の効用は次の点においても現れます。

【評価が正しいのか否かを判断するには】
“seinの制度”に対する評価は、それに異議を唱える者からのみ発せられると申しましたが、これを素直に受け止めると、制度は無限定に変え続けられることになります。

学校に行きたくないだけの子どもが「子どもが学校に行くという制度はおかしい」と異議を唱えることも、一義的には、“seinの制度”に対する評価なのです。

制度に不平・不満を持つ者の評価を際限なく聞いていては切りがありません。

ゆえに、制度に異議を唱える者に対して徹底的に証拠を出させることにより、その異議が果たして制度を変える原因となるだけの資格があるか否かを判断するのです。

「なぜ子どもは学校に行かなきゃいけないの?」と尋ねてきたときに、「なぜ子どもは学校に行ってはいけないの(=行くことがいけないことなの)?」と聞き直してください。子どもはその問に反論することはできません。

 例えば、「夫婦同姓は強制である」との主張を持ち出してきたら、更に尋ねて見てください。「あなたは強制・強制というが、すべての制度は強制なのです。夫婦同姓をことさらに強調するのであれば、夫婦同姓は他の諸制度に比較して強制の程度が著しいのでしょう。ならば、その『著しいこと』を明示してください」
 このようなやりとりを繰り返してもなお生き延びる『制度に対する異議』があるのならば・・・それこそが、制度を変えるに値する異議なのです。

《結論3》
 《結論2》は制度を変えるに値する「制度に対する異議」を見定める手法として有効である

さて・・・刑事裁判モデルにおける「裁判官」は誰なのか・・・これについては追々明らかになることでしょうなどと申しましたが、それについては未だ言及しておりませんでした。裁判官は“seinの制度”に暮らす者です。
 つまり、被告弁護団と裁判官は同質の者なのです。

なぜ、そのようなことになるのか。これは次回の投稿に譲ることにしましょう。

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