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前回の投稿において、
 制度を評価する者は制度に不服を唱える者である
 制度に不服を唱える者は、制度の欠点を証明し続けなければならない
 その証明の連続する過程の中で、真に取り上げるべき不服申立が取捨されていくことについて述べました。


【制度を評価する者と制度を変える者】
なぜ、“seinの制度”に不服を申し立てた者が、延々と制度の欠点を証明し続けなければならないのかについては前回も申し上げた次第ですが、もうひとつの重大な理由があります。

その理由とは
《結論》制度を評価する者と制度を変える者は同一ではないからに他なりません。
 制度を評価する者は確かに制度に異議を唱える者です。しかしながら、制度を変える者は“seinの制度”を当たり前と感じる人間、すなわち制度の中で暮らしている人間なのです。

 制度に異議を唱える者は、制度変革により自らの願望を達成することになりますが、制度に住んでいる者にとってはメリットが生ずるかデメリットが生ずるかは定かではないのです。

ゆえに、制度に異議を唱える者は制度内に住む者を承伏させる義務があるわけです。

この辺りをもう少し詳しく見ていきましょう。

【制度を変えて何が飛び出るか】
“seinの制度”の特徴は繰り返し述べているように、その存在意義が茫洋として判別できないとこと・・・「それって当たり前でしょ?」・・・にあります。

われわれの社会は様々な“seinの制度”の複合体から成り立ち、しかも、個々の“seinの制度”はどこからどこまでが境界なのかが曖昧です。

 夫婦同姓制度が他の諸制度と密接に絡んでいるのか、絡んでいるのならばそれは重層構造なのか、地続きに連なるのか・・・そんなことすらわれわれにはわかりません。

そのような絡み合っているのかいないのかわからないような混沌の中からひとつの制度のみをピックアップして周辺に影響を与えることがないよう変えることがそもそもできるのでしょうか。

合目的論的制度は、鉢植えの花を入れ替える作業に似ています。
10個の鉢があり、その中のひとつだけ花が枯れてしまった・・・・このような場合ならば、その鉢のみを土ごと入れ替えればよろしいでしょう。他の9個の鉢には何ら影響がありません。

これに対して“seinの制度”は、鬱蒼とした林の中にある1本の木のみを植え替える作業に似ています。下手にショベルを入れると周りの木の根っこを傷つけかねません。

“seinの制度”は、何から何まで曖昧にできています。それゆえ、他の制度と絡み合っているかいないのかは、実は変えてみるまでわからないのです。

 変えてみて事の重大さに気付く。それも“seinの制度”の特徴のひとつなのです。

《結論》
 “seinの制度”は変えてみて初めて事の重大さに気付く制度である

【蛇が出ても鬼が出ても】

《結論》から次の事も容易に想像できます。

《結論??奸?einの制度”を変えた後に来るであろう波及効果を事前に予測することはできない

「夫婦別姓にすれば家制度の崩壊につながる」という議論を頻繁に耳にしますが、そもそも家制度そのものがわれわれにとっては曖昧な(それでいて当たり前の)存在です。夫婦別姓制度の下で本当に家制度は継続できないのかを示そうと考えても結論は出せません(少なくとも私には無理です)。

ひょっとしたら、夫婦別姓制度下でも家制度は存続するかもしれません。逆に夫婦別姓制度かで家制度は完全に瓦解するかもしれません。それは実際に変えてみなければわからないことなのです。

このような制度を変えるには・・・?

変えた後の結果が良いか悪いかがわからぬのならば、いっそのこと変えなくても良いだろう・・・と考えることもできるでしょう。これもひとつの選択肢であると思います。
 この選択肢に従えば、夫婦別姓などは行う必要もないことでしょう。
上の方法は、「変えないこと」を前提に・・・すなわち「悪い結果が出たらまずい」という不安感を基礎にしています。

これに対して、「変えること」を前提に・・・すなわち「悪い結果が出ても仕方がない」という発想を基礎にする方法も他方において存在し得ます。

確かに制度を変えることによりどのような波及効果が生ずるのかは誰にもわからない。しかし、どのようにまずい波及効果が出たとしても、現在の状況よりも悪くなることはあるまい・・・このような発想がそれに該当します。

これを夫婦別姓論に当てはめると、「夫婦同姓が現行において信じられないような悪影響をわれわれに及ぼしていることは確かだ」→「ゆえに夫婦同姓制度は変革されなければならない」→「たとえ、その改革により他の諸制度に悪影響が出たとしても、少なくとも現在の夫婦同姓制度が与える悪影響にくらべればまだましだろう」
このような過程を辿り、制度が改革されるのです。

夫婦別姓賛成論者はこのような状況にまで“seinの制度”の中に住む人々を追い込む必要があるのです。それが出来て初めて制度は変えられるのです。

しかし、実際に夫婦別姓賛成論者の議論は、常に、夫婦同姓制度に暮らす者に対して自らの正当化を求めさせ、それを論破することで夫婦別姓の優越を確立しようとするものです。

それは見方を変えれば、夫婦別姓論が、夫婦同姓制度を崩すだけの足腰の強さを持ち得ないことの証左でもあるのでしょう。

by“はるぽん”



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