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====【始めに】====
今回の投稿は前回の補足です。インター・ミッションとし てお読みください。


====【見ることと削ること】====
二十世紀の思想は様々なものを発見しました。
1)野性の発見
2)無意識の発見
3)構造の発見
4)子どもの発見
等々(思想史に興味のある方は、誰が発見したのかについ ては既知のことでしょ う)。
これらの発見により社会がドラスティックに変わったかと いえば、何も変わりません でした。思想界・文壇という閉じられた空間内では多大な 影響がありましたが、それ により殊更に世上を騒がせたということもありません。
 
それもそのはず。それらは単に「ものの見方」に過ぎない からです。

  大概の学校の美術室にはデッサン用の彫塑があります。こ の石膏像はなぜか西洋人を モデルにしたものがほとんど(しかもアグリッパ)ですが 、これは彫りの深さと関係 があるのでしょう。
「ものの見方」とは、このデッサン用の彫塑をどの方角か ら見るか、どの方向から光 を当てるかという問題です。彫塑自体には何ら変わりはあ りません。

  これに対して、ジェンダー・フリーはこう主張したわけで す。
「このデッサン用の彫塑にこちらから光を当てると影がで きる。この影のでき方が気 に入らない。だから、私はデッサン用の彫塑を削る」

  その結果として非常に歪んだ彫塑が出来上がることは容易 に想像ができます。

しかし、事態はその段階に留まりません。上記の主張はジ ェンダー・フリーの表のス ローガンから導き出される結論ですが、ジェンダー・フリ ーの真のスローガンから は、別の次元の結論が導き出されるのです。

前回の投稿で申し上げた通り、ジェンダー・フリーの真の スローガンは「あなたが気 に入らないものを持ってきなさい!」というものです。
これは「あなたが自分の視点で彫塑に光を当てなさい。そ こでできた影が気に入らな ければ、それはジェンダー・フリーの思想から見て正しく ない影なのです。正しくな い影はわれわれが削ってあげます」と言っているに等しい のです。
人々は、嬉々として、様々な方向からひとつのデッサン用 彫塑に向かって光を当てる でしょう。「わたしはこちらから光を当てたら気に入らな かった」「私はこんなとこ ろからも当ててみたができる影が面白くなかった」・・・ ・

  さて、ひとつの彫塑に多方位から光を当てるとどのような 影ができるのでしょうか。
影は出現しないのです(余談ですが、白色の彫塑に全方位 から強力な白色光を当てる と、彫塑自体が消えてしまいます)。

「影が気に入らないから」という理由で「削ってくれ!」 「削ってくれ!」と主張す る者が大量に集まると、影自体が消えてしまうわけですが 、その段階まで進むと、 人々は一体何のために主張しているのかもわからぬまま、 ただひたすらに「削ってく れ!」「削ってくれ!」と叫ぶことになります。
最近では、「これは一体全体ジェンダーと何のかかわりが あるのか?」と訝しく思う ものを目にすることが多くなりました。「それはジェンダ ーを云々しなくても別の手 段で解決できる問題でしょ?」と素朴なツッコミが予測さ れるものまでをも、狂信的 ジェンダー・フリー信奉者は何とかしてジェンダーの遡上 に乗せようとします。
 おそらく、彼ら(彼女ら)は、もはや「ジェンダーとは 何ぞや」という根源的な問 いすら忘れてしまっているに違いありません。彼ら(彼女 ら)の頭の中にあるのは、 「とにかく何でも良いから変えてくれ!削ってくれ!」と いう欲望だけでしょう。
 
つまり、彼らは純粋な制度破壊者なのです。そして、無自 覚な制度破壊者である点で 革命家よりも性質が悪いといえるでしょう。
 
(ジェンダー・フリーの思想が混迷を深めるのも、全方位 から光を当てたがために何 も見えなくなってしまったことが所以なのではなかろうか とも考えますが)
 
 
その結果として、彫塑はまるで原型をとどめないばかりか 、どの方向から見ても意味 をなさない形にまで変形されることになります。

  ジェンダー・フリー自体は極めて全体主義的な思想だとは よく耳にするところで、実 際にその通りであると考えます。しかし、上記の現象は単 なる全体主義以上の結末を もたらすように思えてなりません。
 全体主義的であるということは、価値観が(強制的です が)統一されていることを 意味します。統一的な価値観の下では、ひとつの彫塑に単 一方向からのみ光が当てら れ、「その方位から見て意味をなすように」彫塑が削られ ます。この段階では、非常 に単一的ではあるものの、まだ彫塑としての用を呈するだ けの外観は保持されている わけです。
 これに対して、ジェンダー・フリーにおいては、全方位 から光が当てられ削られた 結果、どの方位から見ても「これは一体何なんだ?」と呼 ぶべき彫塑・・・(この段 階は彫塑と呼ぶべきではないでしょう、単に石膏の塊です から)・・・が出来上がる わけです。

  彫塑が何を例えているかは、敢えて説明するまでもないで しょう。グロテスクな形に まで変形させられた彫塑・・・これがジェンダー・フリー が辿り着く最悪のシナリオ ではなかろうかと私は考えます。

 
(本来的に、ジェンダー・フリーはオルテガが喝破した『 大衆』の奇形児として語ら れるべきなのかもしれません。)
 
 
====【次回こそ】====
ジェンダー・フリーは思想ではありません。ジェンダー・ フリーは「運動」です。理 論は単に運動の正統性を跡付けするためだけに存在するも のです。

  したがって、「私」の欲望を投影するための跡付け理論は 、必然的に「私」から出発 することになります。

その手法は(今度こそ)、次回の投稿に書きたいと考えて います。



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